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有田焼とは
有田焼きの説明を紹介しました。(出典:知って役立つ古伊万里用語)
知って役立つ古伊万里用語
●[ありたやき]有田焼
佐賀県西松浦郡有田町周辺で焼かれる磁器の総称。
陶祖は文禄、慶長の役(1592-1598)の時、鍋島直茂に連れてこられた李参平。
この李参平が有田町泉山で白磁鉱を発見し日本で最初の磁器を焼いたとされる。
江戸時代、伊万里津から船で積み出されたため、当時のものを古伊万里という。
●[ありたまち]有田町
佐賀県西部、有田川の上流にある窯業の町。
西松浦郡に属し、南は長崎県と接する。
1954年(昭和29)有田町と東有田町が合併して成立
。
56年には西有田村曲川(まがりかわ)の一部を編入する。
面積は27.09km2。人口1万3640人(1997年)。
伊万里湾にそそぐ有田川上流域の渓谷に、
何十代もつづく約150軒の窯元が軒をつらねる。
かつては美術工芸品や和食器類の生産が中心だったが、
現在では工業用品、タイル、碍子(がいし)が全生産量の 70%をこえ、
洋食器類や磁器製玩具も増大している。
近年、約6万8000m2の有田焼卸(おろし)団地が完成した。
陶磁器で知られるドイツのマイセンと姉妹都市で、
東西の磁器を展示する有田ポーセリンパークや、有田陶磁美術館、
九州陶磁文化館などの施設もあり、
毎年春に開かれる有田陶器市は70万人をこす人出でにぎわう。
○有田焼の歴史は、
文禄・慶長の役(1592~98)の際に朝鮮半島からつれてこられた陶工の李参平が、
1616年(元和2)に泉山で良質の白磁鉱を発見したことにはじまる。
1640年代には酒井田柿右衛門が赤絵の技法を成功させ、
製品は伊万里港から東アジアやヨーロッパまではこばれた。
町域には天狗谷(てんぐだに)古窯跡など創業時の窯跡が数多くのこり、
登り窯の廃材などでつくったトンバイ塀がつづく町並みは、
重要伝統的建造物群保存地区(町並み保存)に指定されている。
陶山神社は桜や紅葉の名所で、陶製の狛犬(こまいぬ)や大鳥居がある。
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